江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年12月8日  ローマ6章  キリストにある新しい生活へ

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.罪に死に、キリストに生きる

・罪を悔い、新しい命を望む者は、バプテスマを受ける。バプテスマによって、人は罪に死に、新しい命に入る
−ローマ6:4-5「私たちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」。
・バプテスマの語源はバプテゾー(浸す)である。水の中に沈む時キリストと共に古き自分に死に、水から出る時キリストと共に復活する。バプテスマを通して、私たちはこの世に死に、キリストにあって生きる者となる。
−ガラテヤ6:14「この私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世は私に対し、私は世に対してはりつけにされているのです」。
・この世に対して死んだ者が以前と同じ生活を続けられようか、出来るはずが無いではないかとパウロは言う。刑事事件においても、死んだ者は訴追されないではないか。
−ローマ6:6-7「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています」。
・それにも関らず、私たちの日常生活は前と変わらない。世の人々はいう「バプテスマを受けて何が変わったのか。あなたのどこが救われたのか」。バプテスマを受けて私たちは罪から救われたが、肉の体を持つ限り、罪を犯し続けていく。私たちは「罪人のままで赦された存在」なのだ。罪はまだ私たちを支配する。
−ローマ7:18-20「私は、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。・・・それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです」。
・義とされたが、体は元のままだ。だから肉の欲はなお私たちを襲う。しかし、キリストが肉の欲に勝たれたように、私たちも既に勝利の中にある。神の恵みがそれを可能にする。だから、肉の欲と戦いなさい。
−ローマ6:12-14「あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。・・・罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」。

2.キリストにふさわしく生きなさい。

・人は完全に独立して生きることは出来ない。人間は罪か義か、どちらかの奴隷とならざるを得ない存在だ。イエスが言われたように「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(マタイ6:21)。
−ローマ6:16 「あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです」。
・しかし、今、あなたは罪の奴隷から神の奴隷になった。新しい生があなたに与えられた。
−ローマ6:17-18「しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました」。
・だから聖なる生活を生きなさい。罪の奴隷であった時の事を思い起こして御覧なさい。それは人に言えないような恥ずかしい生活であったではないか。
−ローマ6:19-21「かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです」。
・救われたのだから、それにふさわしく生きる。現実生活の中では難しい選択だ。勤務先が戦車やミサイルを作る軍事会社であったら私たちは会社を辞めるべきか。会社が水銀を不法投棄し、そのために環境破壊が生じたら、私たちはどうするのか。現実の生の中で、キリストにある新しい命を生きるとは何かを私たちは模索する。
−ヨハネ16:33「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
・バプテスマを受けて、聖化は始まっている。肉の体は日々衰え、霊の体は日々成長している。私たちの生涯とは「約束の地」を目指してこの世を旅する寄留人のようなものだ。
−?コリント4:16「だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの『外なる人』は衰えていくとしても、私たちの『内なる人』は日々新たにされていきます」。

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